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大稲荷

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久留米稲荷社

だいじょういんいなりじんじゃ

大乗院稲荷神社

御祭神

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左右稲荷

御由緒

久留米藩主により勧請された稲荷社と伝えられ、
明治6年1月14日明治政府により発せられた城郭取壊令にともない
明治7年5月24日旧久留米城内南庭内 稲荷社・秋葉社、城内東庭内 春日社・日吉社の4社を
御遷座(神社を別の場所にお遷しすること)合祀した稲荷社です。
このうち日吉社は日吉神社に合祀されています。
(稲荷社の総本社は京都伏見稲荷大社)
筑後地方では特に霊験あらたかと伝えられる筑後稲荷十社に数えられ、
久留米においては古くから城内にお祀りされていた稲荷社として
格式もきわめて高く藩主の信仰も篤かったと伝えられています。

当稲荷社には旧久留米城内より御神体の御遷座とともに、
城内の鳥居、狛犬、狛犬寄進の石柱、5種類の灯篭がそのままにあり、
その御神威貴い事を物語っています。

旧社殿は城内からそのままに移されたものでしたが、現在の社殿は戦後新たに建てられたものです。

黄金の社«こがねのやしろ»

穀物神である倉稲魂神、稲穂が収穫を迎える十月頃には御社殿が黄金色に輝くことから黄金の社ともいわれます。

 年代別記載
正徳三年(1713年)灯篭2基
寛保二年(1742年)灯篭2基
宝暦五年(1755年)鳥居・灯篭3基
天明七年(1787年)灯篭1基
文化八年(1811年)灯篭2基
大正五年(1916年)狛犬1対

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稲荷社
第二城の内にあり。府君羽林公の勧請にして、當城の鎮守とす。毎年二月初の午日、祭祀ありて、貴賎群を成す。
(資料1 訂校筑後誌125頁)

秋葉社
第二城の内にあり。宝暦年中 府君羽林公勧請あり。葢し鎮火を祈らんが為なり。
(資料1 訂校筑後誌125頁)

宝暦五乙亥年
當年 御城古御殿に秋葉権現社御勧請
(資料2 石原家記 下巻 437頁)

日吉社
天明六年十二月二十七日庭内山王宮御遷座(此年御建立)
(資料3 福岡県史資料 第八輯 米府年表)

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